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哲学?

こんにちは☆DANCE navigation MEGUROのゆりあです

今日はお米をとぎながらふと思ったお話をします。
(ちなみに今今日は、と打とうとしたら、凶はと出てきました・・・・・思い出される・・・・・)

写真 2015-06-26 17 40 41.jpg

お米をといで、お水を捨てようとしました。
その時少しぼーっとしてしまって、何粒かお米が排水溝に吸い込まれていきました。

このお米達は食べられるために生まれてきたのですが、
流れてしまったお米達は食べられることなく終わりました。
このお米の一生はあっけなく、1番輝ける時を逃し、人生を終えたのです。

ですが、私たちにとってそのお米、流れていってしまったその一粒。
その一粒を食べなくてもそうたいしたことではないのです。

あぁなんてことでしょう・・・

そのお米にとってはたった1回の自分の人生ですから、非常に大切で重要な瞬間でしたが
私たちからしたら、気がつかなく終わっていくことだったかもしれません。


人間ってなんてちっぽけなのでしょう。
この流れていってしまったお米は1人の人間。
私たちを世界とすると
私たち1人の人生は、世界には気にもならないことなのです。


という話をえのっき先生にしたら



「いや、そのお米はその排水溝を通って、大海原に旅だったのかもしれない。」
「無限の可能性を秘めている」


みたいな(ニュアンス)お言葉をいただきました。
素晴らしい・・・!
そうかもしれない!
終わりだと思っていたことはもしかしたら始まりかもしれないし
この道しかないと思い込んでいたけれど、思わぬ所から新しい道が開けるかも!!!!


人生を80歳までとすると
私たちは29,200日しか生きることしか出来ません。
あなたも私も10,000日生きたときは、27歳と少しをすぎたときです。
(ここは受け売り笑)
もう10,000日生きてしまったと考えるか
あと約20,000日生きることができると考えるか。
今このまま、人生を流れるままに歩んでいく=炊飯器で美味しく炊かれる
思い切って別の道を歩む=排水溝に流されたら大海原にたどり着くかも(もしかしたらたどり着けないこともある)

考え方次第です。
でも、Happyに生きたいですよね。
私の人生は私の物ですから。


みなさん、頑張りましょう。
あのお米が大海原にたどり着けますように☆


写真 2015-06-26 17 40 44.jpg

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